たとえ死んでも、つながっている
アメリカで、愛する人に先立たれて苦しむ人々を救う活動をしている、ビル・グッゲンハイムとジュディ・グッゲンハイムは、「愛する故人がメッセージを与えてくれた」と証言する人々を、大量に取材しました。そして、先立った人の意識が、物質世界で生きている私たちに
対して、12種類の方法でコミュニケーションを取ってくれていることを確認しています。
父を亡くしてから七、八ヵ月たっても、私はまだふさぎ込んだままで、もとの生活を取り戻せませんでした。父を失ったことが受け入れられなくて、自分の悲しみにおぼれていたんですね。すると、父がそこにいる気配がして、こんなことを言うのが聞こえてきました。
「もう、いい加減にしてくれないかな。父さんは、お前とお母さんをとても愛している。だが、お前は、もう自分の人生を大切にする時だし、お父さんはお父さんで、ここで幸せにやっているんだ。戻って来いなんて、言わないでほしい。他に、やることがあるからね。もう行かせてくれないかね」
それを聞いた途端、私はびっくりして、すっかり目が覚めました。父が部屋の隅に立っているのが見えました。頭から腰のあたりまで、はっきり見えました。いかにも満足そうな顔を
していて、自分が元気にやっていることを私にみせたい、という様子でした。父の愛を感じました。そのあと、ふっと消えてしまったんです。
私は、その場で変身したと言ってもいい位です。10トンもの重荷をふいに降ろしたみたいな気持ちでした。とてもやすらかな気持ちになって、父の死を受け入れて自分の生活を取り戻せたし、悪循環から脱け出せたんです。
この父親は、自分の死を嘆き悲しむ子供に対して、「いい加減にしてくれ」「戻って来いなんて、言わないで欲しい」と厳しい言葉を用いながらも、愛情溢れるアドバイスを与えてくれています。
父親は、「お前は、もう自分の人生を大切にするときだ」という言葉によって、「自分の死に引きずられて、暗い毎日を送るのは、やめてほしい」ということを伝えたいに違いありません。
言い換えれば、「死は、人それぞれに必要なものなのだから、愛する人の死を受け入れて、いかに前向きに生きていくかということこそが大切なのだ」と、故人たちは訴えてくれているのです。
次の証言では、先立ったばかりのご主人が、妻に対して、そのことを端的な表現で教えて
くれています。
主人が大きい心臓発作を起こして入院したんです。私は家に帰ったあと、一人で居間に
座り込んでしまいました。午前一時十六分でした。その時、頭の中でふいに主人の声がしたんです。とてもはっきり聞こえました。
「私はいかなきゃならん。他の仕事をしなければならんのでな。地上での私の仕事は終わったんだ。だが、君の仕事はまだ終わっていなぞ」
そのとき思いました。「ご主人が亡くなられました」って、すぐに病院から電話がかかって
くるだろうな、って。 電話が鳴ったのは、それから15分ほども経ってからでした。
この証言からも判るように、どうやら私たちには、それぞれが、「人生で果たすべき仕事(役割、使命)を抱えて生れてくるようです。
関連ページ
- 人生の仕組み(1) 「意識体」としての自覚
その存在は、言葉を使わないで、私に語りかけるのです。
とても安心できました。
別の世界に行けて、よかったわ。
とっても平和で美しいところなんです。
真っ青な、光あふれる世界。
地球とそっくりでいながら、全く違う、不思議な世界。
私は、いままでの肉体とは違う形態を身につけています……
そう、それはエネルギーの形態、
各人が固有に持つエネルギーの形態なのです……
だから、ここでもその形態は一人一人違っています……
エネルギーは、拡散してしまうことはありません……
一つの源から放射される、各人それぞれの個性を持ったエネルギーです。 - 人生の仕組み(2) 「死ぬ」という体験
退行催眠によって思い出す記憶には、胎児の中に宿る前に、自分が肉体を
持たない「意識体」として覚醒していた(つまり、生れる前にも意識体として生きていた)という記憶が含まれており、人間として生れてきた仕組みについての証言が出てきます。
それらの証言は、思想や宗教を超えて基本的に同じ仕組みを描写しており、本人が信じているかどうかにかかわらず、国籍・性別・年齢を超えて共通しています。催眠状態では、自分が信じている宗教の教義とは異なる内容を答えたり、無宗教・唯物論・無神論を唱える人であっても、自分が「意識体」として存在していた記憶を思い出すのです。
- 『死ぬということは、体から離なれて生きること』
面白いことに、私達は、自分の遺体や通夜や葬式を見下ろしながら、かなり冷静な気持ちでいることができる様です。死の瞬間には、自分が肉体から離れて上空に浮かんでいることに気づくとと同時に、それにもかかわらず、「自意識として覚醒している」という感覚があることに驚きます。
なぜなら、「自分は死んだはずなのに、まだ生きている」という現象を体験することになるとは、予想していなかったからです。しかし、やがて、「な〜んだ、
死ぬということは、体から離なれて生きるということに すぎないんだな」と、死という現象が「通過点」にすぎないことに気づいていくのです。 - 「死後世界」の光景
「死後世界」の光景その際に見る光景は、光のドームに入ったり、すばらしい色彩を見たり、美しい音楽を聴いたり、たいまつを持った人物が迎えてくれるなど、様々です。
信じている宗教の教祖が両手を広げて出迎えてくれたり、宮殿や庭園のような
ビジョン(幻影)を見る者もいます。
これらは、勿論現実の場所や物質ではなく、本人にとっての「死後の世界」のイメージがシンボル化された「幻像」にすぎません。
- 愛する故人たちとの再会
キューブラー=ロス博士によると、この現象を実に多くの人々が経験していると言います。何千マイルも遠くに住んでいたはずの人が、突然、目の前に姿を現します。すると、翌日になって、前日の姿を現した人が亡くなったという知らせが、電話や電報で届くのです。
- 死後の世界でのコミュニケーション(1)
それは、「思いが通じ合うといえばいいのかしら」という表現で描写されていますが、この表現こそが、私たちが本来、「トランスパーソナルな存在」(自己を超えてつながりあっている存在)だということを、如実に示していると
いえるでしょう。
つまり、もともとトランスパーソナルな存在である私たちは、この物質界を訪れて一つの肉体に入った後でも、肉体的な制限を受けながらも、やはりトランスパーソナルな存在として、心の奥ではつながり合っているというわけです。 - 死後の世界でのコミュニケーション(2)
C もう自分の体にはとどまるのはやめようと決心した時、体が光で満たされたような感じがしました。自分が輝きだして、肉体を離れると、そこには先立っていた姉が待っていました。姉は、「怖がらなくてもいいのよ」と言いました。
「怖くないわ」と、私は答えました。
とっても平和な気持ちで、あの激痛が嘘のようです。私は、姉があんまり穏やかなので、ちょっと驚きました。 - 家族たちを見守る
この証言の特徴は、死を自覚した後に、娘を生前に十分に愛してやらなかった自分の過ちに気づき、「今からでも飛んでいって謝ろう」と思っていることです。
このように、人生を終えてから初めて「愛」の大切さに気づく人が多く、十分に愛してあげなかった人々への罪悪感から、その人たちへの罪滅ぼしの意味も込めて、その後の人生を見守って助けようとすることが少なくないようです。 - たとえ死んでも、つながっている
主人が大きい心臓発作を起こして入院したんです。私は家に帰ったあと、一人で居間に座り込んでしまいました。午前一時十六分でした。その時、頭の中でふいに主人の声がしたんです。とてもはっきり聞こえました。
「私はいかなきゃならん。他の仕事をしなければならんのでな。地上での私の仕事は終わったんだ。だが、君の仕事はまだ終わっていなぞ」