家族たちを見守る

退行催眠の受診者たちの言葉を見ると、人生の大きな目的が、「愛」について学ぶことであるということを示す、様々な証言が出てきます。

C 喉がつまって、息が……。
D 死んだのですか?
C 古びたベッドに、骨と皮だけの遺体が横たわっているのが見えます。
D 死んだのに、どうして自分の体が見えるのですか?
C 体から脱け出したんです。身が軽くなったわ。すごく軽くて、ふわふわ浮いています。
D 肉体の中にいた時よりも、いい気分ですか?
C もちろんです。すごく軽やかなんですもの。少女時代に戻ったみたい。
D いま、自分の体を見下ろしているんですか?
C そうです。老いさらばえて、黒くひからびた体。口をあんぐりとあけたまま死んでいる、
老女の死体です。
D 死んだ後、どうするつもりですか?
C 娘を捜します。捜して、愛している、って言いたいの。もっと愛してやるべきでした。愛情が足りなかったんです。娘を見つけ出して、それを言わなくちゃなりません。


この証言の特徴は、死を自覚した後に、娘を生前に十分に愛してやらなかった自分の過ちに気づき、「今からでも飛んでいって謝ろう」と思っていることです。

このように、人生を終えてから初めて「愛」の大切さに気づく人が多く、十分に愛してあげなかった人々への罪悪感から、その人たちへの罪滅ぼしの意味も込めて、
その後の人生を見守って助けようとすることが少なくないようです。


D その人生での、死の瞬間に行ってください。死んだ時、あなたはどこにいましたか?
C アルノー川のほとりです。川べりを散策している時、強盗に襲われたのです。
D いくつでしたか?
C 四十六歳でした。
D 殺された時、どんな風に感じましたか?
C 信じられない、という気持ちでした。
D しばらく息がありましたか。それとも即死でしたか?
C すぐに死にました。背中を刺されたんです。
D 死の経験は、あなたにとってどんなものでしたか?
C とにかく驚きましたね。死んだはずなのに、まだ生きているかのように思っていたんですから。

D 痛みは?
C たいしたことはありませんでした。ほんの一瞬のことでしたから。
D 死んだ後に、自分の死体を見ましたか?
C うつ伏して、背中を丸めてうずくまっていました。
D それからどうなりましたか?
C 家に帰りました。妻のもとへ。
D 奥さんは、あなたが死んだことを知っていましたか?
C いいえ、妻は夕食の支度をしていました。
D 奥さんには、あなたが見えましたか?
C 見えませんでした。
D 何か合図をして、自分が来たことを知らせようとはしなかったんですか?
C どうせだめだと判っていたので、何もしませんでした。
D あなたの遺体は川べりに横たわっているというのに、奥さんは何も知らない。あなたはその時、どんな気持ちでしたか?
C 妻を守ってやりたいと、思いました。
D それからずっと、スピリットとして、奥さんのそばにいたんですか?
C ええ、彼女がもう大丈夫だとわかるまで。
D 奥さんが、あなたの死のショックから立ち直るまで?
C そうです。


この被験者は、かつての人生の最期に、自分の死を自覚して受け入れたあと、自宅で夕食の支度をしていた妻の元へと、飛んで帰っています。

しかし、自分にはもう物質的な体がないため、妻には自分の姿が見えないことを知り、直接的なコミュニケーションを取ることは、あきらめたようです。そこで、この意識が感じたのは、「妻を守ってやりたい」ということでした。


このように、人生を終えたあとでも、物質界に残した愛する人たちのそばにいて、
意識体の姿で見守っていたという記憶が、催眠状態で次々に出てきます。このような記憶から、私たちにとって、「別離」という言葉が幻想にすぎないことが判ります。私たちは、愛する人たちと、心の奥で、永遠に「つながって」いるのです。



飯田史彦 研究室へ ようこそ!(福島大学経済経営学類 教授)
 

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    その存在は、言葉を使わないで、私に語りかけるのです。

    とても安心できました。
    別の世界に行けて、よかったわ。
    とっても平和で美しいところなんです。
    真っ青な、光あふれる世界。
    地球とそっくりでいながら、全く違う、不思議な世界。


    私は、いままでの肉体とは違う形態を身につけています……
    そう、それはエネルギーの形態、
    各人が固有に持つエネルギーの形態なのです……
    だから、ここでもその形態は一人一人違っています……
    エネルギーは、拡散してしまうことはありません……
    一つの源から放射される、各人それぞれの個性を持ったエネルギーです。


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