愛する故人たちとの再会

京都大学教授のカール・ベッカー博士によると、臨死体験中に、先立っていた近親者と
出会ったという人が沢山いるそうです。代表的な事例を引用してみましょう。


「主治医が、私のことをあきらめて、『もう死亡している』と親類に告げました。私の身体は
反応していませんでしたが、私はその話を全て聞いていました。医者がもうダメだと言った瞬間に、私は、むしろ意識が鮮明になった気がします。


今度は、自分が亡くなった人々に囲まれていることに気づきました。今は亡き多くの親類たちの中でも、私のすぐ前に立っていたおばあさんと、学生時代の同級生で
あった女性が、特に目立っていました。


みんなの背格好の全てはよく見えませんでしたが、彼らの顔は、はっきりと判りました。
そして、みんなと一緒にいるのだという気持ちを強く感じました。

みんなは喜んでくれ、私は、大変幸せなひとときを過ごしました。」


ベッカー博士によると、瀕死状態から回復した患者が、臨死体験中に「まだ生きているはずの親類や友人に出会った」と発言することがしばしばあるそうです。まわりの者はその話を信じませんが、患者が瀕死状態におちいる前に、その人物がちょうど死亡していたことを、後から知って驚くのだそうです。

つまり、瀕死の患者が、臨死体験を通じて、知ることができないはずの遠方の人の死を、
誰よりも早く知ったのです。


ベッカー博士は、このような現象を根拠として、臨死体験が単なる夢でないことを明言しています。

また、メルヴィン・モース博士(ワシントン大学教授)は、次の様な興味深い事例も確認しています。

ワシントン州に住むある男性が、運転していた車がすべって道路を飛び出し、木に激突して死亡しました。その頃彼の弟は、遠く離れた場所で釣りを楽しんでおり、兄が事故で亡くなったことなど、知るよしもありませんでした。

その日の午後遅く、釣りをしていた弟は、誰かが小道を通って釣り場に近づいて来るのに気づきました。顔を上げてみると、何とお兄さんです。弟は、話し相手ができたことを大いに喜び、ふたりは数分間にわたって話をしました。そして兄は、「もう行かなくちゃ」と言い、
急ぎ足で森の中へと消えて行きました。


弟には、確か本物の兄が訪ねてきたとしか思えなかったのですが、よく考えてみると、兄がこんなところへ突然やってくるはずがないことに気づきました。一体何が起きたのか、よく
理解できないまま、弟は家に帰りました。

そして、ちょうど自分が釣りをしていたころ、兄が交通事故で亡くなったことを教えられたのです。


これらの事例からも判るように、エリザベス・キューブラー=ロス博士は、二万件にのぼる臨死体験の研究を基に、「誰も一人ぼっちで死ぬことはない」と、次のように説明します。

「肉体から離れると、時間のない所での存在となる。同じように、普通の意味で空間や距離を語ることもできなくなる。なぜなら、それらは全て、この世における現象だからである。
例えば、アメリカの青年がアジアで亡くなり、ワシントンにいる母親のことを思ったとしよう。彼はその思念の力によって、ほんの一瞬のうちに何千マイルもの距離をわたり、母親の
もとへいくことができるのである」


キューブラー=ロス博士によると、この現象を実に多くの人々が経験していると言います。何千マイルも遠くに住んでいたはずの人が、突然、目の前に姿を現します。すると、翌日になって、前日の姿を現した人が亡くなったという知らせが、電話や電報で届くのです。


「この段階にくれば、誰も一人ぼっちで死ぬことはない、という事が、よくわかる。なぜなら、亡くなった人は、自分の好きな人のところに行くことができるからだ。また、先立って亡くなっており、自分のことを愛し、大切にしてくれた人たちも、待ってくれていれる。

しかも、この段階になると時間というものが存在しないため、二十歳の時に子供を亡くした人が九十九歳で亡くなっても、亡くした時と同じ年のままの子供の姿に会うことができるのである」

もちろん、ロス博士がいう「亡くした時と同じ年のままの子供の姿」とは、実際に現れた「前世で子供だった意識体」が、亡くなったばかりの親に、「自分はあなたの子供だった意識体ですよ」ということを判ってもらうために、当時の自分の姿をビジョン(幻像)として見せてくれているにすぎません。

物質的な肉体として現れるわけではなく、だからこそ自由自在に、なくなったばかりの相手が最も喜ぶ姿で現れてくれるのです。



飯田史彦 研究室へ ようこそ!(福島大学経済経営学類 教授)
 

<< 前のページ

次のページ >>

関連ページ

  • 人生の仕組み(1) 「意識体」としての自覚

    その存在は、言葉を使わないで、私に語りかけるのです。

    とても安心できました。
    別の世界に行けて、よかったわ。
    とっても平和で美しいところなんです。
    真っ青な、光あふれる世界。
    地球とそっくりでいながら、全く違う、不思議な世界。


    私は、いままでの肉体とは違う形態を身につけています……
    そう、それはエネルギーの形態、
    各人が固有に持つエネルギーの形態なのです……
    だから、ここでもその形態は一人一人違っています……
    エネルギーは、拡散してしまうことはありません……
    一つの源から放射される、各人それぞれの個性を持ったエネルギーです。


  • 人生の仕組み(2) 「死ぬ」という体験

    退行催眠によって思い出す記憶には、胎児の中に宿る前に、自分が肉体を
    持たない「意識体」として覚醒していた(つまり、生れる前にも意識体として生きていた)という記憶が含まれており、人間として生れてきた仕組みについての証言が出てきます。


    それらの証言は、思想や宗教を超えて基本的に同じ仕組みを描写しており、本人が信じているかどうかにかかわらず、国籍・性別・年齢を超えて共通しています。催眠状態では、自分が信じている宗教の教義とは異なる内容を答えたり、無宗教・唯物論・無神論を唱える人であっても、自分が「意識体」として存在していた記憶を思い出すのです。


  • 『死ぬということは、体から離なれて生きること』

    面白いことに、私達は、自分の遺体や通夜や葬式を見下ろしながら、かなり冷静な気持ちでいることができる様です。死の瞬間には、自分が肉体から離れて上空に浮かんでいることに気づくとと同時に、それにもかかわらず、「自意識として覚醒している」という感覚があることに驚きます。

    なぜなら、「自分は死んだはずなのに、まだ生きている」という現象を体験することになるとは、予想していなかったからです。しかし、やがて、「な〜んだ、
    死ぬということは、体から離なれて生きるということに すぎないんだな」と、死という現象が「通過点」にすぎないことに気づいていくのです。


  • 「死後世界」の光景

    「死後世界」の光景その際に見る光景は、光のドームに入ったり、すばらしい色彩を見たり、美しい音楽を聴いたり、たいまつを持った人物が迎えてくれるなど、様々です。

    信じている宗教の教祖が両手を広げて出迎えてくれたり、宮殿や庭園のような
    ビジョン(幻影)を見る者もいます。

    これらは、勿論現実の場所や物質ではなく、本人にとっての「死後の世界」のイメージがシンボル化された「幻像」にすぎません。


  • 愛する故人たちとの再会

    キューブラー=ロス博士によると、この現象を実に多くの人々が経験していると言います。何千マイルも遠くに住んでいたはずの人が、突然、目の前に姿を現します。すると、翌日になって、前日の姿を現した人が亡くなったという知らせが、電話や電報で届くのです。


  • 死後の世界でのコミュニケーション(1)

    それは、「思いが通じ合うといえばいいのかしら」という表現で描写されていますが、この表現こそが、私たちが本来、「トランスパーソナルな存在」(自己を超えてつながりあっている存在)だということを、如実に示していると
    いえるでしょう。


    つまり、もともとトランスパーソナルな存在である私たちは、この物質界を訪れて一つの肉体に入った後でも、肉体的な制限を受けながらも、やはりトランスパーソナルな存在として、心の奥ではつながり合っているというわけです。


  • 死後の世界でのコミュニケーション(2)

    C もう自分の体にはとどまるのはやめようと決心した時、体が光で満たされたような感じがしました。自分が輝きだして、肉体を離れると、そこには先立っていた姉が待っていました。姉は、「怖がらなくてもいいのよ」と言いました。

    「怖くないわ」と、私は答えました。

    とっても平和な気持ちで、あの激痛が嘘のようです。私は、姉があんまり穏やかなので、ちょっと驚きました。


  • 家族たちを見守る

    この証言の特徴は、死を自覚した後に、娘を生前に十分に愛してやらなかった自分の過ちに気づき、「今からでも飛んでいって謝ろう」と思っていることです。

    このように、人生を終えてから初めて「愛」の大切さに気づく人が多く、十分に愛してあげなかった人々への罪悪感から、その人たちへの罪滅ぼしの意味も込めて、その後の人生を見守って助けようとすることが少なくないようです。


  • たとえ死んでも、つながっている

    主人が大きい心臓発作を起こして入院したんです。私は家に帰ったあと、一人で居間に座り込んでしまいました。午前一時十六分でした。その時、頭の中でふいに主人の声がしたんです。とてもはっきり聞こえました。

    「私はいかなきゃならん。他の仕事をしなければならんのでな。地上での私の仕事は終わったんだ。だが、君の仕事はまだ終わっていなぞ」