人生の自己評価(4) 終えた人生の回想
「まず最初に目にしたのは、荒れた子供時代だった。そこには、意地悪な自分の姿が
あった。ほかの子の自転車を盗んだり、彼らを学校でいじめていた。
なかでも小学校で、身体に障害のある生徒をいじめた時の場面がもっとも鮮明だった。
クラスのほかの生徒たちも彼をいじめていたが、私のいじめ方が一番ひどかった。
当時の私は、からかっているだけの気持ちだったが、その一件を思い出している時、私はその生徒の身体に入り込み、自分が与えた彼の苦しみを感じとっていた。
光の存在に包まれて自分の人生を振り返りながら、私は自分が他人と喧嘩したことを一つ一つ再体験していったが、思い返している時の私は、なんと被害者の立場になっていたのである」
彼は、他人をいじめる自分の姿を徹底的に見せつけられると同時に、両親に対して自分が取った、ひどい仕打ちも思い知らされます。
「私が両親に与えた悲しみ、痛みも感じ取った。私は手に負えない子供だった。両親が私に説教をしたり、私を叱ったりしても、私は両親の躾を全く相手にしていなかった。両親は、
私を説得しようとしては、私に裏切られていた。
人生を回想したその時になって、こんな悪童を持った両親の心の痛みが、手に取るように判った。」
更に、ベトナム戦争に参加して、敵兵を射殺した場面を次々と思い出した彼は、その時の
心境をこう語っています。
「私は引き金を引き、ライフルの反動を身体に受けた。一瞬、間をおいてから、彼の頭が
吹き飛び、その身体ががっくりと倒れこんだ。当時、私が実際に目にした光景は、そういう
ものだった。
ところが、回想した時は、私はその北ベトナムの大佐の視点から、この事件を体験していた。
彼が受けたはずの身体の痛みは感じなかったが、自分の頭がふき飛ばされた時の彼の混乱と、身体を離れ、もう二度と家に帰れないだろうと気づいた時の、彼の悲しみを感じ取った。
そして、感情の連鎖反応が起こり、一家の働き手を失ったと知った時の、彼の家族の悲痛までもが伝わってきたのだ」
しかも、自分が直接に手を下したわけでもなく、自分が輸送した武器によって多くのベトナム人が殺される光景や、父親が殺されたと知って泣き叫ぶ子供たちの姿を、徹底的に「光の存在」から見せられます。
そして、この男性は、猛烈な反省をうながされました。
「そこで、人生の回想は終わった。人生を回想し終えると、今度は、今見たことを振り返り、反省し、結論を出す時になった。
私は、すっかり恥じ入っていた。自分が送ってきた人生が、実に利己的なもので、他人に
救いの手を差し伸べることなど、まずなかったという事実を思い知らされたのだ。人生の
中心は、自分だけだった。
そう、自分一人のための人生だった。まわりの人間のことなど、眼中になかったのだ。
光の存在を見つめた私は、悲痛と恥を深く感じていた。非難は免れられないと思った。私の魂を打ち振るわせるような、すさまじい非難を受けるだろう、と覚悟した。
人生を振り返って目にした自分は、全く価値のない人間だった。非難以外には、考えられなかった」
ここで興味深いのは、あくまでも、人生を評価するのは自分自身だということです。 指導役の「光」は、あくまでもアドバイスをくれるだけであり、直接的に出題や採点を行って、人間を審判したり処罰したりする存在ではありません。 出題も採点も、意識体たち(つまり人生を終えた私たち)が、自分自身で行うわけ
です。
このように、基本的に「人生は自己評価である」ということが、実は重要な意味を それは、のちに述べるように、「人生は自分で計画するものであり、人生で出会う様々な試験問題を出題するのは自分自身である」という仕組みがあるからこそ、
持っています。
その採点・評価も自分で行うべきだということになるからです。
しかし、ホイットン博士の被験者たちも証言するように、指導役の意識体たちは、罪を悔いる私たちをむやみに非難したりはせずに、自分自身で十分反省するように、見守ってくれています。
「光の存在をじっと見つめていると、私に触れているように感じた。その接触から、私は愛と喜びを感じ取った。それは、おじいさんが孫に与えるような、無条件の思いやりに等しい
ものだった。
そしてもう一度、私は反省の時間を与えられた。私は人にどの位の愛情を与えてきたのか?そして人からどの位の愛情を受け取ってきたのか?
その時目にしたばかりの回想から考えると、善が一に対して、悪が二〇という割合だった」
そして、十分に反省したことを見とどけると、指導役の意識体たちは、一転して、むしろ温かいメッセージを送り、激励してくれるのです。
「反省したことによって、確かに痛みや苦悶を感じたが、そのお蔭で、人生を正しく歩んで
いくための知識が身についた。光の存在からのメッセージが、頭の中に響いた。
『あなたがた人類は力のあるスピリチュアル(霊的)な存在で、地上に善を創造するために生れてゆくのです。
善は不遜な行為からは成し遂げられません。
人々の間で交わされる、優しさの一つ一つから成し遂げられるのです。小さなことが積み重ねられた結果なのです。
なぜなら、それは無意識の行為であり、あなたの真の姿を映し出しているのです。』
私は元気付けられた。単純明快な秘訣がわかったのだ。つまり、人生の終わりに
私が貰える愛情の深さと善意は、人生の中で私が人に与えてきた愛情と善意に
匹敵するということ。
『それが判れば、これから自分の人生をより良いものに出来るでしょう』と、私は光の存在に言った。
しかしその時、自分はもう戻れないのだ、ということに気付いた。私は雷に打たれて、
死んでしまったのだ!」
その後、この男性は、「光の存在」から、ふたたびこの世に戻って、やり残したことを果たすように指示され、奇跡的に息を吹き返します。
「私は、いつの間にか廊下の上に浮かんでいた。下には、人をのせた車輪つきの担架が
おかれていた。シーツでおおわれたその人は、身動きすることもなく、じっと横たわっていた。死んでいたのだ。
白い服を着た二人の係員がエレベーターから現れ、その遺体の方へやってきた。二人は煙草をふかしながら、私が漂っていた天井に向けて、煙のかたまりを吐き出していた。あの遺体を安置所まで運んでいくんだな、と私は思った。
彼らが遺体の所へ到着する前に、私の同僚のトミーが戸口から現れ、担架のわきにたたずんだ。その時に私は、シーツの下の人間は自分なのだ、と気付いた。私は死んでいた。
今、まさに遺体安置所へ運ばれようとしているのは、わたしなのだ。というよりも、私の
なきがらなのだ」
彼は、家族と医者が到着するのを上空から観察し、家族が自分の生き返りを願う祈りの
気持ちに包まれるようにして、全身にやけどを負った自分の肉体へ、再び入っていき
ました。
「肉体に戻った途端、そこに宿っていた苦痛が押し寄せてきた。再び、火あぶりにされたようだった。表も裏も焼く尽くされた身体は、激痛に襲われていた。身体を動かすことができなかった。
係員が遺体安置所に運ぼうとしているというのに、身体が動かせないというのは最悪の
事態だ。
残る手段は、ただ一つしかなかった。私は、シーツに息を吹きかけた。
『おい、生きてるぞ、やつはまだ生きてるぞ!』とトミーが叫んだ」
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再現するビジョンを見せられながら、終えてきた人生における全ての言動の
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そして、そこで問題とされるのは、私たち一人一人の誠実さ、道徳性のみだ
そうです。
言い換えれば、例えば有名な大スターや、大企業の社長や、総理大臣になったとしても、その人生で多くの人を裏切り、傷付けてしまった場合には、悶え苦しみながら深く反省することになります。
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つまり、
「自分が誰かを傷付けると、いつか必ず、自分も誰かから同じくらい傷付けられ、逆に自分が助けてあげると、いつか必ず、自分も誰かから同じように助けてもらえる」、
という法則です。
必ずしも、自分が傷付けたり助けたりした同じ相手から返ってくる訳でなく、
一見すると全然無関係の人から返ってくることも多いものの、それでも目に
見えないところで深くつながっています。