人生の自己評価(3) 悲痛と恥の涙

退行催眠による証言と一致するものとして、レイモンド・ムーディ博士が典型的な臨死体験として認定する事例の一部をご紹介しましょう。雷に打たれて心臓が停止したある男性は、指導役の意識体のことを「光の存在」と表現しながら、次のように証言しています。


「だめです、お亡くなりになりました、と、医者が妻のサンディに言った。おれは死んだんだ、と思った。身体から離れていたし、正直なところ、もう身体には戻りたくなかった。頭に
あったのは、救急隊員達がたったいまシーツをかぶせたあの遺体ともう関係がないのなら、この私は一体誰なのだろう、ということだけだった。


サンディはしゃくりあげながら、私の遺体の足をやさしく叩いていた。同僚のトミーは呆然としており、救急隊員達は、自分たちの失敗を感じていた。『そんなに自分を責めないでくれよ、君らのせいじゃないんだから』と、私は思った。


その時、救急車の前方に目を向けると、私の遺体の上に点が見えた。そこからトンネルのようなものが姿を現し、まるでハリケーンのように目の前に迫ってきた。おもしろそうな場所に思えたので、私はトンネルの方へ向かった。実際には、私が動いたわけではなく、
トンネルの方がこちらへ近づいてきて、私を包み込み、まもなく何も見えなくなった。


暗闇の先へ目を向けると、光が見えた。その光に向かって、私は精一杯の速さで進んで
いった。やがて暗闇が消え去り、いつの間にか私は、輝く光の楽園の中に立っていた。


私は自分の手足を看て見た。それは半透明で、きらきらと揺らめき、海面のように流動性のある動きをしていた。胸を見下ろしてみると、胸も半透明になっており、そよ風にたなびく細い絹糸のように揺れていた。


私は、辺りを見回していた。下には、私と同じようなほかの存在達がいた。とまどっている
ような存在たちは、私よりもずっと遅い速度で揺らめいていた。彼らを見ていると、こちらの揺らめく速度も落ちてきた。自分の振動が減っていくのは不愉快だったので、私は彼らから目をそらした。


今度は上に目を向けた。そこにはもっと多くの存在たちがいた。彼らは私よりも明るく、より多くの光を発していた。彼らを見ていると、私の揺らめく速度が上がっていった。


この男性は、その後、彼のすぐ目の前に近づいてきた「光の存在」を、まっすぐに見つめます。彼によると、どの「光の存在」にも、性別が感じられなかったそうです。そして彼は、終えてきたばかりの人生を回想し、反省するように促されます。


「光の存在が私を包み込むと、私の全人生の回想が始まった。ダムが崩壊し、脳裏にしまいこまれていた記憶が、全部あふれ出したような感じだった。この人生の
回想は、楽しいものとは言えなかった。はじめから終わりまで、私は胸の悪くなる
ような現実を突きつけられることになった。私は、実に嫌な人間だった。利己的で、
意地の悪い男だった。」


この男性は、心臓が停止した状態のまま、子供時代から中年を迎える迄の人生を、事細かに回想しました。他人や両親に対して自分がとった言動を再体験し、
同時に自分が傷付けた相手の気持ちになって、自分の行動を客観的に評価して
いったのです。



飯田史彦 研究室へ ようこそ!(福島大学経済経営学類 教授)
 

<< 前のページ

次のページ >>

関連ページ

  • 人生の自己評価(1) 人生のパノラマビジョン

    いわゆる「地獄」という世界が存在するわけではありませんが、死後に、各人にとっての「地獄」があるとすれば、それは、反省のために自分自身の人生を振り返る瞬間の心の状態のことです。

    指導役の意識体たちは、今終えてきたばかりの人生を回顧するようにうながし、目の前でパノラマのように、その一生のビジョンを見せてくれます。

    そのビジョンを見ながら、終えてきた人生における後悔や罪悪感、自責の念が、心の底からわき上がってくるのです。


  • 人生の自己評価(2) どれだけ人を愛したか

    退行催眠の被験者や臨死体験者の証言によると、私たちの誰もが、人生を
    再現するビジョンを見せられながら、終えてきた人生における全ての言動の
    説明を求められます。

    そして、そこで問題とされるのは、私たち一人一人の誠実さ、道徳性のみだ
    そうです。


    言い換えれば、例えば有名な大スターや、大企業の社長や、総理大臣になったとしても、その人生で多くの人を裏切り、傷付けてしまった場合には、悶え苦しみながら深く反省することになります。


  • 人生の自己評価(3) 悲痛と恥の涙

    「光の存在が私を包み込むと、私の全人生の回想が始まった。ダムが崩壊し、脳裏にしまいこまれていた記憶が、全部あふれ出したような感じだった。この人生の回想は、楽しいものとは言えなかった。はじめから終わりまで、私は
    胸の悪くなるような現実を突きつけられることになった。私は、実に嫌な人間
    だった。利己的で、意地の悪い男だった。」


  • 人生の自己評価(4) 終えた人生の回想

    更に、ベトナム戦争に参加して、敵兵を射殺した場面を次々と思い出した彼は、その時の心境をこう語っています。

    「私は引き金を引き、ライフルの反動を身体に受けた。一瞬、間をおいてから、彼の頭が吹き飛び、その身体ががっくりと倒れこんだ。当時、私が実際に目にした光景は、そういうものだった。

    ところが、回想した時は、私はその北ベトナムの大佐の視点から、この事件を体験していた。

    彼が受けたはずの身体の痛みは感じなかったが、自分の頭がふき飛ばされた時の彼の混乱と、身体を離れ、もう二度と家に帰れないだろうと気づいた時の、彼の悲しみを感じ取った。

    そして、感情の連鎖反応が起こり、一家の働き手を失ったと知った時の、彼の家族の悲痛までもが伝わってきたのだ


    しかも、自分が直接に手を下したわけでもなく、自分が輸送した武器によって多くのベトナム人が殺される光景や、父親が殺されたと知って泣き叫ぶ子供
    たちの姿を、徹底的に「光の存在」から見せられます。


  • 人生の自己評価(5) 人間関係の因果応報

    この証言は、人生という学びの機会を通じて、いわゆる「因果応報」の法則が働いていることを示しています。

    つまり、

    「自分が誰かを傷付けると、いつか必ず、自分も誰かから同じくらい傷付けられ、逆に自分が助けてあげると、いつか必ず、自分も誰かから同じように助けてもらえる」

    という法則です。


    必ずしも、自分が傷付けたり助けたりした同じ相手から返ってくる訳でなく、
    一見すると全然無関係の人から返ってくることも多いものの、それでも目に
    見えないところで深くつながっています。