人生の自己計画(2) 人生設計の方法

人生において、大きな困難を克服することに何度も失敗した人々は、その難題を
解決するまで、何度も同じ状況に身をおいて生れるよう、指導役の意識体たちから強く促されたことを証言しています。


あらかじめ、何回も先の人生までをも視野に入れた長期的な計画で、自分の成長をはかる場合もあります。

  例えば、幾つもの過去生で恐怖と怒りに震えた人生を送ったため、指導役の意識体たちに、「もう生まれ変わるのが恐い」と哀願したジェニー・ソーンダースという女性は、その時、次のように諭されたそうです。


「あなたは、その恐怖と怒りに対して、真正面から立ち向かわなければなりません」

つまり、意識体として成長するための苦しみから逃れ、安楽な人生ばかりを計画
して生れていったのでは、幾ら生まれ変わっても、ほとんど成長できないのです。


もちろん、指導役の意識体たちの助言を拒むのも自由なんですが、彼らの勧めを無視することは、生まれ変わりが無計画的に行われることを意味するため、あまり意味のない苦労がいつおそって来るかもしれないのだそうです。


被験者たちは、中間生できちんと計画を立てないまま生れてきた事をホイットン博士に告げる時、必ず不安そうな表情をするといいます。

一方で、きちんと計画を立てて生れてきた被験者は、催眠状態でその計画を説明しながら、たとえそれが困難に満ちた人生計画であっても、淡々としているのだそうです。


さて、終えてきた人生を自己評価すると、その人生で見事に解くことができた問題と、解くことができなかった問題とが明らかになります。

また、その人生で何を学んだのかを整理すれば、他のどうのような事を学び残しているかが判り、今後の学習計画を立てることができるのです。


そのうえで、私たちは、物質世界という学校での学びの機会、つまり「人生」という
名の修行へと、また旅立っていく決心を固めます。


この決心は、自分自身で行うのが基本ですが、場合によっては、指導役の「光」に促されることもあるようです。


かつて1,000人以上の被験者に退行催眠を行ったヘレン・ウォンバック医師は、

人は、自分で、自分が送るべき人生を選んでいるのだ

ということを示す証言を、数多く確認しました。そして、催眠状態の被験者達との間で、
例えば次のような会話を交わしたことを記録しています。

「あなたは、生れることを選びましたか?」
「はい、選びました」
「あなたが選ぶのを、誰か手伝いましたか?」
「沢山の存在が助けてくれました。でも、私が選ばなければなりませんでした」
「もう一度誕生することに対して、あなたはどう感じましたか?」
「私は身をまかせていたという感じでした」


このように、ウオンバック博士によると、

81%の被験者が、「人生を通して個人的成長を進めていくためには、生れてくることが必要だ」と考え、そのうち30%の被験者は、「本当にまた生れてきたいほど、人生は楽しかった」と感じていました。


この統計データは、

生れてくる大きな理由は、物質界に身を置いて自分を成長させるためである

ということ、

そして

物質界で人間として生きることは、必ずしも楽しいだけの経験ではなく、
むしろ厳しく辛い環境の中で成長することに目的がある


ということを、暗黙のうちに示していると言えるでしょう。


また、「あなたが選ぶのを、誰か手伝いましたか」というウォンバック医師の問いに対して、

「沢山の存在が助けてくれました。でも、私が選ばなければなりませんでした

という答えが返ってきたことは、極めて重要です。


つまり、

指導役の「光」がアドバイスはしてくれるものの、最終的には、「自分の意志で生れてきた」という事実

を強調しているからです。


しかし、いずれにしても、好き勝手に生れてくることはできず、指導役の「光」から生れていく許可を得たうえで、人生という学校に「入学」していく(つまり誕生していく)ようです。


だからこそ、第一章でご紹介した日本女性(むつみさん)の証言にあったように、「光」から見れば、「お前は、もう認められている」ということになるのです。

何故なら、「光」から学習機会を認められたからこそ(人間として学習するに値する存在だからこそ)、人生という修行を受けることができているからです。

「光」が「他人から認めてもらうことは、必要でない」と述べていたのは、きっと、
次のように伝えたかったのではないでしょうか。


ほかの人間たちから認めてもらわなくても、もうすでに、私(光)がお前を認めて
いるではないか。だからこそ、お前は生れてきたのではないか。

その、私(光)に認められているという喜び、生れてくることができたという誇りを、
忘れないでいなさい。

その喜びと誇りさえあれば、もう十分ではないか。

なぜお前は、そのうえに、さらに他人に認めて貰うことなどを、求めようとしている
のか?



飯田史彦 研究室へ ようこそ!(福島大学経済経営学類 教授)
 

<< 前のページ

次のページ >>

関連ページ

  • 人生の自己計画(1) 果てしない成長の追及

    退行催眠の研究で、一番興味深い成果は、肉体にやどっていない状態
    (中間生)の間に、私たちが自分自身で、次の人生を計画するという仕組みがわかったことです。


    被験者たちは、指導役の意識体(光の存在)の前で終えてきた人生を振り返って反省した後、彼ら(彼らといっても、性別は感じられないそうです)の助言を参考にしながら、自分で次の生まれ変わりの人生計画を立てたことを思い出します。


  • 人生の自己計画(2) 人生設計の方法

    終えてきた人生を自己評価すると、その人生で見事に解くことができた
    問題と、解くことができなかった問題とが明らかになります。

    また、その人生で何を学んだのかを整理すれば、他のどうのような事を学び
    残しているかが判り、今後の学習計画を立てることができるのです。


    そのうえで、私たちは、物質世界という学校での学びの機会、つまり「人生」という名の修行へと、また旅立っていく決心を固めます。


  • 人生の自己計画(3) 試練の組み合わせ

    人生の中で目の前に現れてくる分岐点で、どの選択肢を選ぶのかによって、その後の人生展開が変わってきます。

    しかも、どの選択肢を選びながら生きていくのが最も理想的な人生展開なのかは、その人生を終えるまでは知ることができません。

    中には、ある大切な人と、ある場所でちょうど隣り合わせになるなど、その人生で、たった一度だけ、ほんの数十秒間しか出会わないように仕組んでおく場合もあり、その数十秒の間に特定を言動をするか しないかによって、その後の
    人生展開が大きく変わってしまうのです。


  • 人生の自己計画(4) 何事も順調な学び@

    このように、人生における「幸せ」の尺度や「学び」の方法については、他人と比べるのは間違っているようです。


    それぞれの人が、必要に応じて、違う科目、違う難度の授業をとっているからです。例えば、小学校六年生の国語の授業と、小学校一年生の算数の授業を比較して、どちらが優れた授業かを判断することはできません。

    どちらも、その科目の、そのレベルの授業という点では、最適な内容になるよう心がけてあるからです。

    しかも、小学校の六年生も一年生も、人間としての価値に差はありません。

    そこにあるのは、単に、もう卒業間近なのか、まだ新入生なのかという、
    学んだ時間の長さの差でしかないのです。


  • 人生の自己計画(5) 何事も順調な学びA

    人生は、いわば「敗者復活制人事システム」をとって計画され、一度負けて
    間違った方向に進んで)しまうと戻れないという「勝ち抜き制」ではありません

    人生のある時点までは、いつも望ましくない道を選んできた人でも、ある時にそれまでの自分の姿を反省し、生き方(解決法の選び方)を変えた場合には、一転して、予定していた良好な人生の方向へ歩んでいくことができるのです。