人生の仕組み(2) 「死ぬ」という体験
「死ぬ」という体験
退行催眠によって思い出す記憶には、胎児の中に宿る前に、自分が肉体を持たない「意識体」として覚醒していた(つまり、生れる前にも意識体として生きていた)という記憶が含まれており、人間として生れてきた仕組みについての証言が
出てきます。
それらの証言は、思想や宗教を超えて基本的に同じ仕組みを描写しており、本人が信じているかどうかにかかわらず、国籍・性別・年齢を超えて共通しています。
催眠状態では、自分が信じている宗教の教義とは異なる内容を答えたり、無宗教・唯物論・無神論を唱える人であっても、自分が「意識体」として存在していた記憶を思い出すのです。
まず、グレン・ウィリストン博士のもとで催眠を受けたアメリカ人たちの証言から、
以前の人生を終えた時の記憶をご紹介しましょう。
D どこにいますか?
C ベッドに横たわっています。ほとんど息もできません。肺に水がたまって、
高熱に苦しんでいます。
D 死にかけているのを、ご存知ですか?
C はい。命が、体から抜けていくのが感じられます。生にしがみ つくのがつらすぎて……
とにかく、苦しくてたまりません。
D 先に進んで、何が起こったのかを教えてください。
C 私は死にました。
D どんな気持ちですか?
C ただ息するのをやめて、体から離れました。突然、身が軽くなり ました。すごく軽くて、自由です。痛みはすっかり消えてしまいました。 呼吸が楽になりました……
でも、もちろん、本当に息をしている訳ではありません。ただ、そんな感じがするだけです。こんなに楽に 息ができるなんて、すっかり忘れていました。部屋全体が明るい光に 満ちています……柔らかく輝く光。でも、この光がどこから来るのかは、わかりません。
D いま、あなたはどこにいますか?
C 真上から、自分の遺体を見下ろしています。女の家主が、スープを 持って、部屋に
戻ってきました。まだ、私が死んだことを知りません。スープを取りに部屋を出ていった時には、まだ息があったのです。
D 彼女の反応は?
C びっくりしてベッドに駆け寄り、私の名を呼びました。それから、 「まあ、なんてこと!」と叫んで、お盆を取り落としました。そのまま、何かわめきながら、部屋から出ていってしまいました。驚かせて悪かったと思いましたが、彼女が、私が死んでいると思っているのが おかしくて、一人で笑ってしまいました。
D それから、どうなりましたか?
C まもなく、医者を連れてきました。彼女は、部屋の外で待っています。医者が私を診察するあいだ、さかんにエプロンで手を拭っています。医者はベッドカバーで私の顔を覆うと、ジャミエル夫人に、葬式の手配をするように言いました。彼女は、泣きながら歩いていきました。
D あなたは、自分が埋葬されたのも知っていましたか?
C ええ、もちろんです。貧困者用の墓地に埋められ、墓石がわりに セメントのブロックが置かれました。
D 死んだ場所に、いつまでもいましたか?
C いいえ、別に行くところがありましたから。その場所には、何の未練もありませんでしたし。
この証言の面白いのは、「命が、体から抜けていくのが感じられる」という表現に
より、「私たちの本質=命」にとって、「体」(肉体)というものが「一定期間、
そこに宿っておく入れ物にすぎない」という事実を示していることです。
私たちの本質は、「体」ではなく、そこに宿っている「自分という意識」なのだということを、
たいへん素直な感覚で証言しているのです。この、自分という意識、より正確にいうと
「自意識として覚醒している非物質的な何か」のことを、仮に「意識体」(肉体とは違う体)と
呼ぶことにします。
関連ページ
- 人生の仕組み(1) 「意識体」としての自覚
その存在は、言葉を使わないで、私に語りかけるのです。
とても安心できました。
別の世界に行けて、よかったわ。
とっても平和で美しいところなんです。
真っ青な、光あふれる世界。
地球とそっくりでいながら、全く違う、不思議な世界。
私は、いままでの肉体とは違う形態を身につけています……
そう、それはエネルギーの形態、
各人が固有に持つエネルギーの形態なのです……
だから、ここでもその形態は一人一人違っています……
エネルギーは、拡散してしまうことはありません……
一つの源から放射される、各人それぞれの個性を持ったエネルギーです。 - 人生の仕組み(2) 「死ぬ」という体験
退行催眠によって思い出す記憶には、胎児の中に宿る前に、自分が肉体を
持たない「意識体」として覚醒していた(つまり、生れる前にも意識体として生きていた)という記憶が含まれており、人間として生れてきた仕組みについての証言が出てきます。
それらの証言は、思想や宗教を超えて基本的に同じ仕組みを描写しており、本人が信じているかどうかにかかわらず、国籍・性別・年齢を超えて共通しています。催眠状態では、自分が信じている宗教の教義とは異なる内容を答えたり、無宗教・唯物論・無神論を唱える人であっても、自分が「意識体」として存在していた記憶を思い出すのです。
- 『死ぬということは、体から離なれて生きること』
面白いことに、私達は、自分の遺体や通夜や葬式を見下ろしながら、かなり冷静な気持ちでいることができる様です。死の瞬間には、自分が肉体から離れて上空に浮かんでいることに気づくとと同時に、それにもかかわらず、「自意識として覚醒している」という感覚があることに驚きます。
なぜなら、「自分は死んだはずなのに、まだ生きている」という現象を体験することになるとは、予想していなかったからです。しかし、やがて、「な〜んだ、
死ぬということは、体から離なれて生きるということに すぎないんだな」と、死という現象が「通過点」にすぎないことに気づいていくのです。 - 「死後世界」の光景
「死後世界」の光景その際に見る光景は、光のドームに入ったり、すばらしい色彩を見たり、美しい音楽を聴いたり、たいまつを持った人物が迎えてくれるなど、様々です。
信じている宗教の教祖が両手を広げて出迎えてくれたり、宮殿や庭園のような
ビジョン(幻影)を見る者もいます。
これらは、勿論現実の場所や物質ではなく、本人にとっての「死後の世界」のイメージがシンボル化された「幻像」にすぎません。
- 愛する故人たちとの再会
キューブラー=ロス博士によると、この現象を実に多くの人々が経験していると言います。何千マイルも遠くに住んでいたはずの人が、突然、目の前に姿を現します。すると、翌日になって、前日の姿を現した人が亡くなったという知らせが、電話や電報で届くのです。
- 死後の世界でのコミュニケーション(1)
それは、「思いが通じ合うといえばいいのかしら」という表現で描写されていますが、この表現こそが、私たちが本来、「トランスパーソナルな存在」(自己を超えてつながりあっている存在)だということを、如実に示していると
いえるでしょう。
つまり、もともとトランスパーソナルな存在である私たちは、この物質界を訪れて一つの肉体に入った後でも、肉体的な制限を受けながらも、やはりトランスパーソナルな存在として、心の奥ではつながり合っているというわけです。 - 死後の世界でのコミュニケーション(2)
C もう自分の体にはとどまるのはやめようと決心した時、体が光で満たされたような感じがしました。自分が輝きだして、肉体を離れると、そこには先立っていた姉が待っていました。姉は、「怖がらなくてもいいのよ」と言いました。
「怖くないわ」と、私は答えました。
とっても平和な気持ちで、あの激痛が嘘のようです。私は、姉があんまり穏やかなので、ちょっと驚きました。 - 家族たちを見守る
この証言の特徴は、死を自覚した後に、娘を生前に十分に愛してやらなかった自分の過ちに気づき、「今からでも飛んでいって謝ろう」と思っていることです。
このように、人生を終えてから初めて「愛」の大切さに気づく人が多く、十分に愛してあげなかった人々への罪悪感から、その人たちへの罪滅ぼしの意味も込めて、その後の人生を見守って助けようとすることが少なくないようです。 - たとえ死んでも、つながっている
主人が大きい心臓発作を起こして入院したんです。私は家に帰ったあと、一人で居間に座り込んでしまいました。午前一時十六分でした。その時、頭の中でふいに主人の声がしたんです。とてもはっきり聞こえました。
「私はいかなきゃならん。他の仕事をしなければならんのでな。地上での私の仕事は終わったんだ。だが、君の仕事はまだ終わっていなぞ」