死後の世界でのコミュニケーション(1)
さて、私たちは本来の「意識体」の姿に戻ったあと、身体を離れてトランスパーソナルな
状態(自分という枠を超えて万物とつながった状態)になったからこそ可能な、様々な体験を味わいます。
その様な証言を、ウィリストン博士による退行催眠の事例に基づいて、幾つか分析して
みましょう。
〈被験者は三十歳の女性。精神世界に関する知識は全く持っていない〉
D 肉体を離れた後、どこへ行きましたか?
C その上の方にいました
D 何の上ですか
C 私の遺体の上です
D どのくらい、そこにいましたか?
C よくわかりません。どのくらいと聞かれても……さあ……多分、一日かそこらでしょうか。でも、はっきりとはわかりません。
D それから、どこへ行きましたか?
C 先だっていた、友達のところへ。
D なるほど。先に物質世界を離れていたお友達と、話ができたんですか?
C ええ。
D どうやって?
C そうですね、口は使わないんです。思いが通じ合うといえばいいのかしら。
D お友達の顔が見えましたか?
C 話し方で、判るんです。
D 地上の人々が見えましたか。何かしているのが見えましたか。
C ええ、でも、特に誰かと連絡を取りたいとは思いませんでした。
D 他界した直後もですか?
C そうねえ、体を離れたすぐ後には、話しかけてみたかったけど、そんな感情はすぐに
消えて、新しい環境になじんでしまったわ。
D 体から離れた後に、誰と会話をかわしましたか?
C 親戚や友達、それから他にもいたけど、よく覚えていません。
D お父さんやお母さんとは?
C もちろん話しました。
D お父さんのことをどう感じましたか?
C 父に対する嫌悪感は、すっかり消えていました。父を許す気持ちになり、愛せるように
なってました。こちらの世界に来て、初めて、父が誰だったのかが、判ったからです。
D 誰だったんですか?
C 過去の人生で、何度も一緒に過ごした人でした。私たちの間には、解かなければならないしこりが残っていたのですが、生きている時には、そのことを忘れていたのです。
この証言の特徴は、私たちが体から離れ、「口を使って会話する」という手段を失ったあと、どのようにして他の意識体たちとコミュニケーションを取るかということが、感覚的に描写
されていることです。
それは、「思いが通じ合うといえばいいのかしら」という表現で描写されていますが、この表現こそが、私たちが本来、「トランスパーソナルな存在」(自己を超えてつながりあっている存在)だということを、如実に示しているといえるでしょう。
つまり、もともとトランスパーソナルな存在である私たちは、この物質界を訪れて
一つの肉体に入った後でも、肉体的な制限を受けながらも、やはりトランスパーソナルな存在として、心の奥ではつながり合っているというわけです。
例えば、ある磁石(私)と別の磁石(あなた)が、間に一枚の紙(肉体)を置いても引き付け合うように、物質的には紙(肉体)によって遮断されているかのように見えても、実は磁力(見えないコミュニケーション)によって結ばれているのです。
また、この証言によると、人生を終えたあとで、すでに先立っていた人々の意識体と
コミュニケーションを取り、その人生での人間関係の秘密を理解してお互いに許し合うと
いう、一種の儀式のような過程が待っているようです。
このような証言は実に多いため、人生で出会う人々は、親友も宿敵もみな、
深い理由に基づき、必然性があって出会っているのだということが判ります。
関連ページ
- 人生の仕組み(1) 「意識体」としての自覚
その存在は、言葉を使わないで、私に語りかけるのです。
とても安心できました。
別の世界に行けて、よかったわ。
とっても平和で美しいところなんです。
真っ青な、光あふれる世界。
地球とそっくりでいながら、全く違う、不思議な世界。
私は、いままでの肉体とは違う形態を身につけています……
そう、それはエネルギーの形態、
各人が固有に持つエネルギーの形態なのです……
だから、ここでもその形態は一人一人違っています……
エネルギーは、拡散してしまうことはありません……
一つの源から放射される、各人それぞれの個性を持ったエネルギーです。 - 人生の仕組み(2) 「死ぬ」という体験
退行催眠によって思い出す記憶には、胎児の中に宿る前に、自分が肉体を
持たない「意識体」として覚醒していた(つまり、生れる前にも意識体として生きていた)という記憶が含まれており、人間として生れてきた仕組みについての証言が出てきます。
それらの証言は、思想や宗教を超えて基本的に同じ仕組みを描写しており、本人が信じているかどうかにかかわらず、国籍・性別・年齢を超えて共通しています。催眠状態では、自分が信じている宗教の教義とは異なる内容を答えたり、無宗教・唯物論・無神論を唱える人であっても、自分が「意識体」として存在していた記憶を思い出すのです。
- 『死ぬということは、体から離なれて生きること』
面白いことに、私達は、自分の遺体や通夜や葬式を見下ろしながら、かなり冷静な気持ちでいることができる様です。死の瞬間には、自分が肉体から離れて上空に浮かんでいることに気づくとと同時に、それにもかかわらず、「自意識として覚醒している」という感覚があることに驚きます。
なぜなら、「自分は死んだはずなのに、まだ生きている」という現象を体験することになるとは、予想していなかったからです。しかし、やがて、「な〜んだ、
死ぬということは、体から離なれて生きるということに すぎないんだな」と、死という現象が「通過点」にすぎないことに気づいていくのです。 - 「死後世界」の光景
「死後世界」の光景その際に見る光景は、光のドームに入ったり、すばらしい色彩を見たり、美しい音楽を聴いたり、たいまつを持った人物が迎えてくれるなど、様々です。
信じている宗教の教祖が両手を広げて出迎えてくれたり、宮殿や庭園のような
ビジョン(幻影)を見る者もいます。
これらは、勿論現実の場所や物質ではなく、本人にとっての「死後の世界」のイメージがシンボル化された「幻像」にすぎません。
- 愛する故人たちとの再会
キューブラー=ロス博士によると、この現象を実に多くの人々が経験していると言います。何千マイルも遠くに住んでいたはずの人が、突然、目の前に姿を現します。すると、翌日になって、前日の姿を現した人が亡くなったという知らせが、電話や電報で届くのです。
- 死後の世界でのコミュニケーション(1)
それは、「思いが通じ合うといえばいいのかしら」という表現で描写されていますが、この表現こそが、私たちが本来、「トランスパーソナルな存在」(自己を超えてつながりあっている存在)だということを、如実に示していると
いえるでしょう。
つまり、もともとトランスパーソナルな存在である私たちは、この物質界を訪れて一つの肉体に入った後でも、肉体的な制限を受けながらも、やはりトランスパーソナルな存在として、心の奥ではつながり合っているというわけです。 - 死後の世界でのコミュニケーション(2)
C もう自分の体にはとどまるのはやめようと決心した時、体が光で満たされたような感じがしました。自分が輝きだして、肉体を離れると、そこには先立っていた姉が待っていました。姉は、「怖がらなくてもいいのよ」と言いました。
「怖くないわ」と、私は答えました。
とっても平和な気持ちで、あの激痛が嘘のようです。私は、姉があんまり穏やかなので、ちょっと驚きました。 - 家族たちを見守る
この証言の特徴は、死を自覚した後に、娘を生前に十分に愛してやらなかった自分の過ちに気づき、「今からでも飛んでいって謝ろう」と思っていることです。
このように、人生を終えてから初めて「愛」の大切さに気づく人が多く、十分に愛してあげなかった人々への罪悪感から、その人たちへの罪滅ぼしの意味も込めて、その後の人生を見守って助けようとすることが少なくないようです。 - たとえ死んでも、つながっている
主人が大きい心臓発作を起こして入院したんです。私は家に帰ったあと、一人で居間に座り込んでしまいました。午前一時十六分でした。その時、頭の中でふいに主人の声がしたんです。とてもはっきり聞こえました。
「私はいかなきゃならん。他の仕事をしなければならんのでな。地上での私の仕事は終わったんだ。だが、君の仕事はまだ終わっていなぞ」